いつか使うかもしれない言葉たち
いつか使うかもしれない言葉は、あちこちに転がっている。 そんな言葉を置く場所が欲しくて、カテゴリー『いつかの言葉』つくってみた。ツイッターやFacebookでもいいのだけれど、ブログの中に置いておきたい言葉たちばかり。 あと、「ですます調」ばかり使っていると、むずむずしちゃう。たまには「である調」というか、決まりなく自由に書いちゃえという感じでいこう。...
View Article大人になること
「大人」と言われると違和感を覚える。 とっくに大人の年齢になっているのに、この違和感はなんだろう? 自分がみてきた大人は、なにがあっても動じない、 包容力がある、成長を喜んでくれる人達だった。 こう考えると自分の両親が大人のお手本かもしれない。 きっとお父さんもお母さんも感情的になっただろうし、 落ち込むこともあっただろう。 そんな姿を私の記憶に残さなかったことが、大人だと感じるし、...
View Article一人だと気づけない自分の感情
人と一緒にいると、自分のことまでわかってくる。 こんなふうにされたらイヤだとか、信じられない、悲しい、嬉しい、ありがたいなんて、さまざまな感情が湧き上がる。 一人だと気づけない自分の感情。 自分はこんな時に、こういう風に感じるんだって、他人に教えてもらってる。 これからも感謝しつつ、学んでいこう。
View Articleたわんでいる糸がいい
人との繋がりを糸にたとえるなら、適度にたわんでいる糸がいい。 どちらかがぐいぐい引っ張ったら、糸はプツンと切れてしまう。 人との繋がりは意外ともろいものだと、切れてわかる不思議。
View Article考えるのを休む日
週に1日、考えない日を作ってる。 仕事のこと、家族のこと、いろんなこと、何も考えなくていい日である。いくら仕事の納期が迫っていても、この日だけは必ず休む。 なぜかというと、私は考えることが大好きで、家族とTVを見ていても、何かヒントがないか、脳は思い切り動いてしまう。そのままにしていると、数ヵ月後に脳がヒーヒーいって、ダウンしちゃうのだ。 意識的に考えることを休む。...
View Article違いを認める
世の中にはいろんな人がいて、みんなそれぞれ違う。 考え方、感じ方が違う人がいると、拒否反応を示してしまった。昔は。 でも、違いを認め合えれば、もっと平和になれるのにと思えるようになれた。 「この紫陽花をみて、どう感じるのかな?」 そんなことを思いながら、散歩するのが楽しい。 ※2011年7月 1日、どこかに書いた言葉より。
View Article原っぱの思い出
子供の頃の遊び場といえば、原っぱだった。 幼稚園とは少し違う、近所の子ども達が集まって、何やら毎日わいわいと泥だらけになって遊んでた。雑草が生い茂り、つくしや野蒜(のびる)を見つけては、うちに持ち帰ったっけ。 あの頃の原っぱは駐車場になったり、家が建ったりして、もう見る影もない。...
View Articleあたりまえの空
見上げれば見慣れた空。 空があるのはあたりまえ、 朝目覚めるのもあたりまえだと思っていた。 でも、今はスーっハーっと呼吸ができることさえ、大切に思える。 あたりまえの毎日に感謝しよう。
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